反出生主義は一言でいうと「子供は生むべきではない」とする思想のことです。
僕がこの思想を支持する理由は
「出生は子供に対して、幸福になるか不幸になるかのギャンブルを強制させる行為」
だと思うからです。
世の中には幸福な人もいれば、不幸な人もいますよね。
そして、それは生まれながらに決まっているものではありません。
貧困家庭で生まれたり障害を持って生まれてくる人でも幸福になることがある一方で、裕福で周囲の環境に恵まれている人でも不幸になる人がいます。
そんなの努力でなんとかしろと言う人もいるでしょうが、そもそも努力できる気質になれるかどうかも運だと思うので、そう考えるとやっぱり「出生は子供にとって幸福になるか不幸になるかのギャンブル」という結論に行き着きます。
そして次に「他人に幸福になるか不幸になるかのギャンブルを強制するのはどうなの?」ということを考えてみます。
やや突拍子もない感じがあるかもしれませんが、例として”幸福になるか不幸になるかのギャンブル”を考えてみました。
例えば誰かに目隠しをして、その人に最高級のカニを食べさせるという状況を想定してみます。
もちろん事前に何を食べさせるかは教えません。
もし、この人がカニ好きなら幸福な結果になるでしょうし、カニが嫌いとかアレルギーがあるとかなら不幸な結果になります。
じゃあ、この余興を他人に強制するのってどうなの?と。
あらかじめ「この人はカニが好きだ」と確信している状況であれば、そこまで問題はないと思います。
ひょっとすると飲み会とかパーティの余興で、これと似たようなことをする人たちもいるかもしれません。
ただ、カニを食べても大丈夫という確信がない状態でこの余興をするのはマズいですよね?
「カニが嫌い」程度ならまだしも、アレルギーなんて発症してしまっては大変です。
病院送りになる可能性があることを考えれば、そもそもこんな危険な余興はやらない方が無難でしょう。
で、「これって出生についても同じことが言えますよね?」というのが僕の考えです。
これから生まれてくる子供が幸福になるか不幸になるか分からない。
そして当然ながら、子供に生まれてきたいかどうか確認を取ることもできない。
そんな状態で子供に出生を強要するのはマズイんじゃない?
というのが、僕なりの反出生主義です。
わざわざ文字を大きく強調した通り、単に反出生主義といっても考え方は人によって違います。
例えばネットで反出生主義について調べてみると
反出生主義はその名の通り「自分は生まれてこないほうがよかった(誕生の否定)」と「人間は生まれない方が良いので生まない方がよい(出産の否定)」について考える、という思想です。
といったように「自分は生まれてこない方が良かった」という経験が反出生主義につながっている、みたいな説明をしていることがあるんですが、こういう考えには共感できません。
あまりに主観が強すぎるので、それってあなたの感想ですよね?って感じるんですよね。冷静さに欠けるというか。
僕は「生まれてこない方が良かった」とまでは思っていません。
あくまで冷静に、客観的に論理を組み立てていくと反出生主義に行き着くよね、と思っているだけです。
あとついでに言っておくと、僕はこの考えを他人に強制するつもりもありません。
単に僕は、自分の子供にギャンブルを強制したくないから反出生主義を持ち出しているのであって、自分以外の他人が出生にどう関わっていくかについてはどうでもいいと思っています。
「たとえ何があっても私は子供を幸せにできる!」みたいな自信があるなら、出生という選択をするのはまぁアリかなと。
ただ、その選択をするからには自分を犠牲にしてでも子供を守る覚悟がなきゃダメだよねとは思っていて、自信も覚悟もなく、周りや雰囲気に流されたとかで子供を生むのはどうかと思います。
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