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タブー視されている政治・宗教・野球の話をしていく

一般的に、公の場で政治・宗教・野球の話はしない方がいいって言われていますよね。

理由は単純で、主義主張が人によってまったく違うこともあるデリケートな話題だからです。

 

といっても、このブログは

「僕の価値観や考え方に興味を持ってくれる人と友達になる

という狙いがあって運営しているものなので、リアルの場で触れにくい話題にこそガンガン切り込んでいこうと思います。

僕も「ネットで知り合った人が実はカルト宗教の信者だった」なんてことになるのは避けたいですし……。

政治

政治については興味・関心がないというのが正直なところです。

ただ、その理由は他の人とは少し違うかもしれません。

 

僕は、政治を変えるより自分を変える方が簡単だと思っています。

 

例えば「若者が投票に行かないと若者が不利になる」みたいに言われることがありますよね。

徴収した税金が高齢者に回されて、若者向けの政策には回されなくなるぞとか。

サラリーマンの税負担がどんどん増えていくぞとか。

 

だから政治に関心を持った方がいいよってことなんでしょうけど、こういった問題を政治でなんとかしようとするのは個人の視点から見てコスパが悪いんですよ。

せっかく政治についていろいろ調べても、自分が持っている権利は1票だけじゃないですか。

どれだけ時間や労力をかけても、報われる可能性はほぼゼロなわけです。

 

それに対して自分を変えるというアプローチであれば、努力次第で確実に結果が出ます。

お金が足りないなら稼ぐ力をつければいいですし、サラリーマンの税負担に不満があるなら事業主になればいい。

僕も事業主になってから気づいたことですが、サラリーマンと事業主では税制上明らかに事業主の方が有利です。

 

自分のポジションが不利になる状況なら、環境を変えるんじゃなくて有利なポジションに移動した方が楽です。

もし日本にいること自体が不利になるのであれば、その時は海外に逃げることを考えよう……というのが僕の考えです。

 

「国なんかあてにしちゃダメよ」

「あてにするから文句が出るわけでしょ」

というのは自己防衛おじさんの言ですが、僕もまったくその通りだと思います。

宗教

宗教についても関心はありません。

葬式の様子とかから「どうやらうちは浄土真宗の家っぽいぞ」みたいな雰囲気があるだけで、別に僕が浄土真宗の信徒であるとか、そういうことは一切ないです。

 

無宗教……と言うと「私も無宗教です」と言われることが多いんですが、僕はガチの無宗教です。

 

僕が思うに、”一般の人が言う無宗教”は”無宗教”じゃないことが結構多いです。

例えば人が亡くなったら葬式をしますし、お盆にはお墓参りにいって、正月には初詣をしたりなんかもしますよね。

それって言うなれば”ゆるい宗教”だと思うんですよ。

 

僕も人付き合いで葬式に参列したりすることはありますが、亡くなった人が天国で見守っているとかはカケラほども思わないですし、墓とかは「作る意味あるかコレ?」と思っています。

 

実際のところ、どうなんでしょうね?

実は僕と同じように考えている人が大半で、リアルの場でそれを言うのがはばかれるからってことで誰も言わないみたいな。

そんなオチだったりしませんかね……?

 

宗教は、人の弱い心が生み出したものだと考えています。

 

死んで何もなくなるなんて怖いから、天国があると信じたい。

何の理由もなく苦しい思いをするなんて受け入れられないから、神の試練だと信じたい。

 

こんな感じで、何か辛いことがあったときに理由を求めたくなって、でも実際は理由なんてないから無理やり理由を作り出す。

それこそが宗教なんじゃないかと。

 

宗教とは少し違うかもしれませんが、多分占いも似たようなものですよね。

実際、景気が悪くなると占いの需要も増すみたいです。

少し前にも占い師さんのインスタライブを見ていたんですが、やはりその方も、不景気になると占いの需要が上がると感じているようです。

その方曰く、「不景気になると、不安から仕事や生活に関する悩み相談が増える」とのこと。

現役の占い師さんですらそのように感じていらっしゃるので、景気の悪化が占い需要に与える影響はあながち間違っていないのでしょう。

引用元:景気が悪くなると占いが流行る?

 

政治のところでも少し触れたように、僕は自分の問題は自分で解決するべきだと思っているので、そういうあやふやなものに頼ることはないです。

野球

野球についても、あまり関心はありません。

というか、スポーツ観戦全般に興味がありません。

なのでこのテーマについてはあまり語ることがないんですが、スポーツ観戦については一つ理解できないことがあります。

 

それは

「地元のチームだから応援する」

という感覚です。

 

興味を持つきっかけだったってことなら分かるんですよ。

地元のチームを調べてみて、この選手のプレーが好きだなとか、面白い戦い方をするなとか、それでファンになるのは分かります。

 

でも、地元だからという理由”だけ”で応援しているのはどういうことなんだろう?と。

そのチームに親戚がいるとかなら分かるんですが、別にそのチームが勝つなり優勝するなりしたところで自分には関係ないわけじゃないですか……?

 

なんて思っていたら、こんな記事を見つけました↓

アメリカの著名な心理学者 ロバート・チャルディーニは、人々が自分の大学のスポーツチームに対してどのような感情を抱いているのかを調べるため、学生に対して、彼らが通う大学のフットボールチームのある試合についてどう思うかというインタビューを行いました。

その結果、勝った試合について訊ねたときは「私たちは敵に対して17対14で勝った」というように、「私たち」という言葉を使い、チームの成功と自分自身を結び付けようとしました。

一方、負けた試合について訊ねると「彼らは31対20で負けた」「スコアは良く知らないけど負けたのはしっている」といったように、自分自身とチームを分離した答え方をしました。

引用元:【知らないと危険】なぜ人は地元や自国のスポーツチームの熱狂的なファンになるのか?自分と似た条件の人を応援する理由(虎の威を借る狐)

 

全員が全員これに当てはまるとは思いませんが、もし地元のチームに自分を投影しているんだとしたら、他人の応援をするより自分が何か行動した方が楽しいんじゃないかと思います。

↑の記事に書いているような感じで、都合が悪くなったときだけ自己投影をやめるのはメチャクチャダサいですね……。

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このブログを書いている人:ユウキ
北海道・札幌近郊に住んでいる31歳男性です。(2024年11月時点)
仕事柄あまりに人と関わることが少なく、なんとか友達ができないかとブログを始めてみました。
まずは「簡単なプロフィールとブログの目的」を読んでいただけると嬉しいです。

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